2015年6月30日火曜日

15年前の問題作


2002年「小磯良平大賞展」が最後のコンクール出品作となり、心身の病との戦いが始まりました。
たしか某新聞が協賛だったか・・・記者が取材に来て会社を抜けて近くのバーミヤンでとても丁寧に話を聞いて
くれました。まもなく作品と顔写真と共に大きく掲載いただき、作品のコンセプトもお話した以上に洗練された文章で関心しました。個人的には。
作品題名「company  virus」は造語で、当時の私の作品テーマは社会(会社)への不満や将来への不安でした。
バブル崩壊と共に入社した私は30才をすぎ、係長という肩書きのなか会社が傾き始め早期退職を余儀なくされた
上司たちを横目にいつ自分の番が回って来るか、残った社員はサービス残業・休日出勤が「働く美学」となっていました。自然と周囲にパラパラと不明死が起こり、精神的に追いつめられた同僚が消えていきました。

私も同様、夜10時まで働き、朝4時に会社に行くといった日もあり、しかし絵だけは根性で寝ずに制作を続けていました。当時はコンクールに出し評価されることが唯一、心の支えだったように思えます。
しかし、その新聞記事の内容が会社で大きな問題となってしまったとは想定外でした。
「会社員としての視点から描く問題作」=右へ諂えの姿勢をとらなくては自身のポジションが危うくなるという事におびえている会社員たちを小さな豚(社畜)ととらえ、入ったらたら出口の無い無機質な箱(会社)に例えた作品=というような文章でした。

その朝刊はお偉いさんたちの目にそうとうな刺激をあたえてしまったようでした。「増田。ずいぶんと偉くなったな」の一言を境に空気のような存在となり、一言も口を聞いてもらえずそのかわりに山ほど仕事が回って来ました。弱みを見せない為、すべて仕事はこなしました。制作は続けましたが不眠と飲酒で1年後、バセドウ病と
アルコール依存症、躁鬱病の診断が下りましたが家族にも内緒で踏ん張っていましたが、薬の飲み過ぎにより
まっすぐ歩けない状況とパソコンのキーが手の震えにより打てなくなり周囲にバレ始め、2006年にて「体調不良による退職勧告」を受け誘導されるがまま退職しました。10年前は「うつは心の風邪」と呼ばれていました。
心身とも疲れ果て抵抗する言葉も出ませんでした。
殉職した小さな豚そのもので「company  virus」は5年後の自身の姿でした。

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